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2006/05/18

「東京タワー」を読み終わりました

とても不安ではあったんです。

うちの母親は周りのすべての人に自分の理想を押し付け、それから少しでもはみ出る人間には容赦ない言葉を突き刺す人なのです。(「死にたい」とかね「産まなきゃよかった」とかね…)

そしてそれを「愛情」だと思っている人なのです。

あたしは、人としてそれに嫌悪感を抱き、娘としてそれを許すしかない。

『東京タワー』を読んだら、母親との関係を改めて考えてしまいそうで、イヤだなぁって思ってました。

せっかく大切にちびちび読もうと思ってたのに、結局昨日、半分くらいから一気に読んでしまいました。

最後はやっぱり、泣けたのね。先が読みたいのに涙で字がにじんで読めないんです。いくらそれを拭っても、次から次にあふれるから読めない。

「読みたいのにッ!!!」

そう思いながら泣いてる状況。

いや、でも、これはリリーさんとオカンの強いつながりと言う前提があってこうなるのであって、やっぱりそこから自分の親子関係に無理くりつなげたってどうなるもんでもないですよ。

そう言うところと、そうでないところ。

結局そう言うコトなんですよ。

リリーさん親子のような関係をうらやましいとは思うけど、だからってどうにかなるものでもないですし。(悲観的な諦めではなく、自分は自分って考えってコト)

ただ、そう思い合っていた親子がいたんだなぁ…ってコトが、よかったなぁと思えると言うか、例えば道路脇の小さな地面からきれいなタンポポが咲いてるのを見た時のような感情。

田んぼのあぜ道に沿ってワサワサ生えてるタンポポを見るよりも、一輪だけ健気に咲いてるタンポポを見た時の方がグッと来ると言うか…咲いてる本人は別に普通に咲いてるだけなんだろうけど、見てるこっちは「がんばれよ」とか思っちゃうみたいな…ふっとその瞬間だけ心温まって幸せになれるような…

とにかく、仲の良い、絆が強い親子を見た時は、そんな風に思うんです。

所詮あたしには、スノーボールの中の世界なんだもの。


物語の後半部分の『ボク』は、30歳を過ぎています。

と言うコトは、その部分はドラマで洋ちゃんが演じる部分なのでしょう。

きっと小説の台詞をふんだんに採用した脚本になるのではないだろうかと、あたしは思ったのですよ。

そしたらもう、『ボク』の台詞が全部「大泉洋」の声で聞こえてきちゃって…そしたらもう大変ですよ。

筑豊弁を喋る大泉洋。

オカンを看取る大泉洋。

悲しさ100倍。

ドラマ見たらどうなっちゃうんだろう。どうしよう。親の前で嗚咽して泣いたら…まずいなぁ…

とにかく、否応なしに期待が高まります。

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」
7月29日(土)夜9時よりオンエアーッ!!!!

…と。

うさぎ、大丈夫だったのかな? 洋ちゃん。

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